先日、お金のセミナーを受けてきました。
去年結木路恵さんのお金塾を受けて
お金の管理の仕方は学んだものの、まだまだ甘く管理できてないし
しかもそれはやはり「管理する」メインで使う貯めるを知る講座。
先日のウチの子講座では
お金について、考え方についての子供たちとの接し方はある程度できてても
お金とは何か、お金にまつわるものの見方、などは全然わかってなくて
課題をしていても
知らないことだらけだな、と…
今回のお金のセミナーでも
目から鱗状態でぽかーんとして帰るんだろう、と
でも子供たちにも教えていきたいことなので
ぽかーんと、でなくできるだけ吸収しなければ、と
めちゃくちゃ緊張して覚悟してのセミナーでした。
セミナー中は写真NGだったので、
これは、セミナー前のランチ
まずはかぼちゃのポタージュ。
ランチ中も質問し放題で
情報の取り方などこう調べるものなのかと驚きまくりで。
でも、本セミナーは、そんなものではなかった。
衝撃というか、ショックというか。
いかに自分がこれまで何も知らなかったのか
こんなしくみや世界で動いていたのだな、と
呆然とする感じ。
1番ショックだったのは
「なんでそうなったのか」を考える癖がついていたこと。
どうしたらの前に
無意識に、なぜを考えようとしていた…
なんでそうなったのか、がわからないと
よくなる方法がわからない、という前提になってるのだろう。
それは、その枠の中に原因があるなら、
そして、その原因に対応できるのなら、
なぜそうなったか、が、どうしたらよくなるか、につながるけど
(システム対応ならそれでもいいのだろう)
枠の中に答えがないかも、枠の中で答え探さなくていいかも、
のときには
なぜ、と理由を探しても意味がないんだよね。
指摘されてショックではあったけど、気づいてよかった。
あと、「中立」「高い視点」
言葉として、そういう視点で見ること、
は聞いたことはあるし理解しているつもりだったけど
頭で理解してるだけでわかってなかったなと。
事実はただ事実として見ること、としたいと思っていても
そうしているつもりでいても
原因を探そうとしている以上、悪を決めようとしている。
原因、結果、ではなくて、ただの事象なのに
知らない事実が見えたときに
それを隠す人、ごまかす人、だます人、を
悪い、と思ってしまっている。
そうでなくて、それもただのひとつの事実なだけ、ということ。
ただの事象でしかないので
いろんな方向から見ていろんな捉え方使い方する人がいて
当たり前というか、そういうだけのこと。
もう一つ、
「ある」からはじまることがなんとなくわかったかも。
今まで、どれだけ理解してるつもりでも
ないからほしい、足りないから必要、と思ってしまっていたけど
なぜ、でなく、どうしたらを考えると
今のところからどうするのか、と
今ある、今いる、が起点になって考えたり動いたりすることになる。
ので、どうしたらを考えようとしたときに
「すでにある」が腑に落ちた感じだった。
今ここにいる、今すでに持ってる、が
自分がこれまで選んで生きてきた結果であれば
選び方を考えたら、今ある今いるが変わるのだということ。
抽象的な感想だけど
初めて知った事柄以上に、
自分の視野の狭さ、思考の少なさを知ったことが
そこから視野を広げる知見を広げる深く考える方法を知ったことが
自分のためにも、これからの世界をつくっていく子供たちに伝えるにも
ほんとによかったなと思いました。
このセミナーが今後開かれるかはわからないけど、
機会があれば絶対聞いておくべきだと思う。