2017年04月

自分と言葉についての考察、いろいろ書いてきてみたけども、さらに続きます。


改めていろいろ言葉について考えてきて、びっくりしたのが、
自分が、思った以上に「言葉」を意識できていなかったこと!!
 
伝えるの好きだし、
説明わかりやすいって言われるし、
相手に合わせて伝えるのうまいって言われるし、
言葉については、自分は意識できている方だと思っていたわけですよ。

それが、全然足りないよね!となった。


特にそれを感じたのが
言葉を言い換えてみる、というのをやろうとしているとき。

日々使っている、聞いている言葉を、言い換えてみるのをしてみよう、
と言われたときは
できそうだな、と思ったのです。

なぜなら、
言い換える、というのは、私は日々の仕事でよくやっているから。
人と人との間に入って話を伝えたり調整したりが多いので
受けた内容を、渡す先に合わせて変換、みたいなことをしているわけです。

単語や表現などを、相手に合わせて変えていて、
それが、わかりやすいとか伝えるのうまいとか言われるところ、のはず。

なのに、
日々話してて聞いてて、言い換える、ということそのものがほとんどできない。

ときどき、言い換えたり、言い換える言葉を考えたりすることもあるけども
それは、口にしたり目にしたり耳にしたりした言葉が、なんか違和感があったときで。

違和感を感じるのは
普通にしててなんとなくざらっとした感じのときと
特に注意して伝え方考える必要があるとき、表現について確認や相談されたとき、で
そういう、言い換えてみる必要があるときでないと、言い換える言葉が出てこないのです。

というか、
この言葉言い換えられる、がなかなか見つからない。
注意して意識した状態でいると、言葉に気づいて言い換えができる、ということは
言い換えができない、言い換える言葉が見つからない、というのは
違和感がないときには、言葉を発するときも受けるときも結構流している、ということで。

全然言葉を意識できてないじゃん!!と思いました…

意識しているつもりで、言葉の言い換えをしているつもりで、
仕事だったり身近な人だったりの限定された範囲での
限定された話の中での特定の言葉や表現の似たような言い換えしかしてなかった、
ということなんだろう。

限定された中での言葉の扱いが多くて
意識を向けるのにも、言い換えるのにも
語彙が圧倒的に足りていない、というわけです。

語彙も、少ないわけではない、と思っていたので
(本よく読んでた方だし、昔は語彙多いと言われたりもしたし、
  読んだり聞いたりしていてわからないということがほとんどないので)
そんなに足りないんだな、ということも、がーんとなったひとつでした…


言葉を、
読んだり聞いたりしてわかる、というのと
自分で使える、というのは
全然別のことってことですね。

なので
語彙の幅広いインプットはもちろん必要だけど
アウトプットも同じくらいかそれ以上していかないと身につかない。

言い換えてみる、というのが、アウトプットのひとつでもあるけども。


言葉をもっと意識することも、語彙を増やすことも、
自分の表現を豊かに、よりわかりやすく正確にしていくことだし
伝えること、コミュニケーションをよりスムーズにしていくことなので
そこはほんとがんばりたいなと思います!!

今日は誕生日でした♡

誕生日だからといって特に特別な何かをするわけではなく
普通に仕事に行くだけなのだけど
(でもたまたま好きな会議の日で、外出だから定時にあがれてラッキー♪)

Facebookのプロフィールに誕生日載せてあるのもあり、
朝からメッセージが次々届いたりして、
まぁやっぱりそういうのはほっこり嬉しくなるよね♡

Facebookって(ほかのSNSもなのかな?)
作業のように誕生日メッセージ送ってくる特に親しくもない方もいて
タイムラインやメッセージがそんな人でいっぱいになる、ともよく聞くし
だからそんな中送ってもじゃまだろうしちゃんと気持ち届く気がしなくて
自分ではあまり送らないのだけど
ひさしぶりに連絡きたりするのもいいなぁ、と思ったり。


というかね、
尊敬する方々から
「普段は誕生日メッセージとかしないんだけど…」
と、メッセージをいただいたのが
単純にめちゃくちゃ嬉しかったのだ♡

嬉しかったポイントは、
自分も、普段は送らないのにこの人なら、と思えるくらいの人から、
というところだなぁと。

もちろん、その方たち以外のメッセージやコメントも嬉しかったのだけど
それも、嬉しいなと思うのは
これまでに直にお会いしていたり、やりとりしていた方から、だしね。


やっぱり「人」が好きなのです。
そして、
その「人」から発せられる、顔が見える、温度感が感じられることばが好きだ。


そんなことを再確認できて
自分がやりたいのも、そんな、
その「人」が伝わる、顔が見えるようだったり、温度感が感じられるようだったり
この人だから、この人だったら、と惹きつけるように伝えるものをつくることだなぁ、と思いました。


そんなひそかな誕生日の決意。
















(誕生日におごってもらったケーキ♡アールグレイのチョコタルトがおいしかった!!)

まんがちらし4コマまんがも、「伝わること」重視でつくっているけども
さらにその「人」が「伝わること」に力を入れていきたいな。

言われたら嬉しい言葉、いやな言葉、も考えてみる。


・・・考えてみたのですけども。

これも、
「言われて嬉しい言葉」「言われていやな言葉」として考えると
なかなか出てこないのです…

もちろん、ざっくりと言うとないわけではなくて
ほめ言葉、は言われたら嬉しいし
悪意のある言葉、は言われたらいやです。


だけども、
ほめ言葉、として嬉しいなと思う言葉を
誰に言われても嬉しいというわけではなくて
自分のことを知ってて、本心で言ってそうだなぁ、というときに嬉しい。
(知らない人が言ってても、誰にでも適当にほめ言葉いうのかな、みたいに思って
  自分に対するほめ言葉、でない気がして、嬉しいとは思わない。)

一般的に悪意のある言葉、とされそうな言葉でも (あほとかバカとか?)
親しい間柄で、軽いノリで言われてたり、悪意なく(むしろ好意こめて)言われてたりしたら
ネタだな、つっこみか、とか、親密さの表現かな、とか感じて
いやな言葉、とは思わない。
(同じ悪意なくただのノリでも、親しくない人に言われたら、いやだけど。)


言われて嬉しい、言われていやだ、を考えると
誰がどんなときにこんな風に言ったのが嬉しかった/いやだった、
というのが出てきて
ただ言葉だけ、ではないんですよね。

「誰が言った言葉か」というのが、すごく大きい。

次に、自分の状態(気持ち的体力的物理的な余裕とか)が
どう受け取るかに影響してるかな、という感じ。


だから、なんというか、
私にとっては
自分に向けられる言葉が嬉しいかいやかとかは
どんな人に(自分とどんな関係の人に)どんな感情を向けられたか、という話であって
それを表現してるのが、言葉、という形であるだけで
なので、言葉そのものに意味を感じているわけではないな、と。

どんな表現で、どんな言葉で、私にその人の考えや感情などを伝えてきているか、
受け取っているものは、考えや感情の部分で。

言葉としての表現の部分にも、
センスや心配りやその人の性質のところが出ているとは思うけども
それは、どんな人か、を感じるのに使うだけで、言葉の表現そのものをどう思うか、ではない。
(なので、同じ表現で言われても、相手が誰かによって、どう思うかが変わる。)


私は、動く(何かをする)のにも「人」が強い動機になるのだけども
この、言われてどう思うか、というような
感じる、受け取る、というようなときにも「人」によるのだなぁ、と
「人」の影響が大きいな、と改めて思いました。

だから、どんな人か、はすごくよく見るし
それは仕事でのコミュニケーションでも、何かをつくるときにも、すごく役に立っていると思う。

ぽすくま、って
郵便局のLINEに登録してるんですけどね。
(再配達依頼とかここからできて、いちいち電話やWebで頼むより便利!)


今日、メッセージが届いてるなぁ、と見てみたら
こんな商品案内が!

浅田真央ちゃんモデルのリカちゃん人形♡



























まさか引退発表後に企画してこのスピードで発売、ではないだろうし
(50周年記念、となってもいるし)
どんな経緯でこのタイミングで出てるのかなと思ったら

引退発表があって、記念にと思う方が多いのか、
高額の受注生産だけども予約殺到、だそう。


リカちゃんファン、浅田真央ちゃんファン、の方は
情報チェックして知ってるのかもしれないけども
限定のコラボ商品などは知られてないかもしれないし
熱心なファンでなくてもこのタイミングで知ったら、記念に手に入れたいと思う方もいるだろうし

こうやって、
ぽすくまからの情報、として
真央ちゃんファン、フィギュアファン、リカちゃんファン、に限定せずに情報届けることで
さらに広まるだろうし、さらに手に入れたい人が増えるんだろうなと思う。

タイミングに乗って情報を届けるの、大事だなぁと改めて思いました!!

大手だけじゃなく
個人でサービスしてる方にも使える方法ですよね。



好きな言葉を考えてみたら、というのを以前書いたのですが
引き続き、好きな言葉、嫌いな言葉、について考えてみています。


で、言葉に意識を向けたら
「好きな言葉」はさらっと思い出したりこれ!と思うようになったんですね。
見たら、これ好きだな、と思うし、そう思ったら連鎖して出てきたりする。

だけど、「嫌いな言葉」ってなかなか出てこないし見つからないのです。

もちろん、言葉としても文字としても、マイナスの意味を持つ言葉は苦手なのですよね。
マイナスの、というのも自分の受け取り方次第ではあるけども
私の場合、
死や病に結びつくような言葉(死、病、症、喪、忌など)とか
嫌な感情に結びつくような言葉(嫌、怒、哀、怖、憎など)とかは
積極的に見たい聞きたいとは思わないし、あまり好きではない。

だけど、「嫌いな言葉」なのか、というと
そこまで強く否定する感じでもなくて。

「好きでない」「苦手」「いやな感じ」くらいな気がするわけです。

それは、私の中のイメージでは
「嫌い」より
「好きでない」「苦手」「いや」の方が柔らかい否定、
というだけなのかもしれないけどね。


「好きでない」「苦手」「いやな感じ」くらい、というのは
積極的に体験したい感じたいことではないけども、実際あるものだしさ、みたいな
自分のテリトリーに入れたいものではないけど存在は受け入れている、みたいな
私の場合はそんな感じかな、と思う。


で、そういう、
自分の定義している「嫌い」に分類されるものがあまりない、というのは
言葉だけでなく、今の私の全般的なスタンスだな、とも思う。
人でもものでもできごとでも、
嫌い、ではなく、好きではない・苦手、というだけ。

積極的に(攻撃的に?)いやだいやだ!って感じでなくて
淡々と、あーいやかなぁ、という感じの
感情的でなく事実として、苦手・相入れない、というのがあるというか。
瞬間的に、感情が逆撫でされることはあるけども、
落ち着いてから紐解くと、
「嫌い」で感情的になるのでなく、何かいやな感情になるところやいやな記憶を刺激されたな、だけで
「嫌い」であるのとは別な気がします。


以前は、そうではなかったのですよ。
むかつく!と思ったら、いやだ!と思ったら
その人嫌い!
そんなこと言う人嫌い!
そんなもの嫌い!
ってなってた。

むしろ、瞬間的に沸騰したら、その勢いは強い方で
つまり好き嫌いが激しかったと思う。
好きなものはとことん好きだし嫌いになったら長く激しく嫌う。
(そんなときだったら、嫌いになったものに紐づく言葉は、嫌いな言葉、だったかも。)


なのだけど
人はそれぞれ違うものだ、というのが腑に落ちたようにわかったとき
人の考え方や感じ方も違って当たり前だな、と思うようになって
どんなものでも人によって見方や受け取り方が違うものだと思うようになって。

そんな風に、なんでも
考え方感じ方の差だよね、視点の違いや受け取り方の違いだよね、と
思うようになってみると
それまで「嫌い」という感情のきっかけになってた部分が
たいていは、違うんだな、というのが元になっていて、それだけのことで、
ただ「嫌い」というものが思いつかなくなったのでした。

それが、「嫌いな言葉」が出てこなかった理由かな、と。
まぁでもそんな考え方感じ方だから、というだけなので
出てこなくてもまぁいいのかな、という気もします。



言葉、を考えるはずが
考え方感じ方、のところに至っていて
言葉というのが、思考することにつながるものだな、と思うし、深いなぁ、と思いました。

こうやって考えることってなかなかないので、楽しいですね♡

↑このページのトップヘ